「漂泊の家」シリーズ総集編 八月、鳩は還るか
過去に上演した『漂泊の家』シリーズをご覧頂いた方々から、作品について、又は烏丸ストロークロックについて暖かいコメントを頂きました。ご協力頂いた皆様、本当に有り難うございました!
「漂泊の家」シリーズの第2部「六川の兄妹」(2008年)は「六川」という架空のニュータウンを舞台にした作品だった。もう少し踏み込んで言うと、その観劇は「六川」という町が目の前に立ち現れてくるのを目撃する体験だった。主人公であるケンとエミの不在を語る物語だが、その語りの中で浮かび上がってくる「六川」は人工的に作られた町の闇そのものであり、歪(いびつ)なものだった。とても引き込まれた。面白かった。
わたし自身も劇作と演出をするが、柳沼さんの台詞や演出には真似できないものがある。繊細なまなざしと音楽的な響きによって創られる彼の舞台はもっと多くの人に知られていいはずだと昔から思っていたけれど、わたしが劇場のディレクターになってその思いを具体的な行動に移そうと決めた。優れた作品と観客のあいだをつなぐことも劇場の、ディレクターの使命の一つだとすれば、まずは烏丸ストロークロックの作品で果たされなければならないとわたしは確信している。
90 年代もだんだん遠くなり、その色合いも次第に見えてきた。僕にとって90年代の一番いい部分を持ち続けているのは柳沼くんの写真であり、阪本さんの音楽だ。「クヨウミチ」では古き良きブルセラ時代を偲び不覚にも涙した。一連のニュータウンを舞台にした作品には「サカキバラ」や「テルクハノル」の事件で感じた喪失感が、雪の結晶のようにきらめいてこれまた涙した。原田知世の「ロマンス」のPVをはじめて見た感動は烏丸で味わえる。小沢健二も去り、カジヒデキもいなくなり、ピチカートファイヴも影が薄くなった昨今。けれどYUKIは2000年代に入って名曲「JOY」を歌ったんだぜ柳沼よ。ニットと烏丸、どちらが先に「JOY」を創るか。怖いけど期待してます。
観客を静かにかつ強引に巻き込んだ第2話「六川の兄妹」で、着実な進化を実感した。丁寧にひとつのテーマに取り組もうとする強い意思が結果を生んだ。腰を落ち着けて創作するということは、実に難しいことなのに。
柳沼くんの演劇への実直な取り組みという風にも思えるその姿勢に、僕は親近感があって、烏丸はこれからも見続けたい数少ない劇団の一つだ。以前観た作品は、人のどうしようもなさと、それでも生きていくしかない執念のようなものに、肌をなでられたような、ある種気持ち悪いとも言える手つきで、ひたひたと全身を触られたように感じた。
「ストロークロック」を勝手に直訳、意訳させてもらうと…「石を打つ」です。うぅ、良い名前!演劇作品を創るという事は正に真摯に石を打つような行為ではないかと、ハッとさせられた次第です。ストロークロックな作品を観たければ烏丸ストロークロックを観よ。名は体を表す!
…個人的にはちょっと複雑です。
烏丸ストロークロックに出ている役者は色気があるなと思う。影がある感じがする。陰気そうだとも言える。変な奴っぽいとも言える。とにかく役者に雰囲気があって、それが芝居の空気を支えている。僕はそういう芝居が好きなので、演出の柳沼さんに会うたびに出演したいと訴えているが、今のところ聞き届けてもらえていない。修行を積んで、いつか声がかかることを待ちたいと思う。ただどう修行すればあのように心地よく変な感じになれるのかが分からない。
観劇している間、遠くから聴こえる声、物音が壁に響く反響など会場全体の静かな空気を強く意識させられた。間を生かした演出は、目の前で起こる淡々としたやりとりの傍らにある広大な余白のようなものを皆間見せてくれる。我々(観客)もまた舞台の一部であり、確かにこの場で物語に立ち会っている。そんな気にさせられた。
歴史も舞台も観客も全てが宙ぶらりんになる、あの居心地の悪さ!1年以上待ちました。正真正銘、待望です。
人生から不随意にほとばしる暴力性。が、身体を蹂躙してゆく。
私たちもまた、舞台上のその身体を生きている。
「ただ生きてゆく事」が暴力になってしまうせつなさ。それに惹かれていつも観に行ってしまいます。
第 2話「六川の兄妹」。舞台経験の全くない私をあたたかく迎えてくれた烏丸のみんな、ほんとうにありがとう。あの経験は私の中での宝物です。呼吸、体温、風、雨、光、目の前に映る風景…今もはっきりと思い出せるその世界は、確かに生命が息づいています。これからも心から、応援しています。